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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)202号 判決 1982年12月20日

原告 岡田嘉代子

<ほか二名>

原告ら訴訟代理人弁護士 松永辰男

被告 株式会社 名古屋鋳鋼所

右代表者代表取締役 小早川慶光

右訴訟代理人弁護士 安藤久夫

同 加藤坂夫

主文

一  被告は、原告岡田嘉代子に対し、金三〇八万七四八八円、原告岡田隆雄、同岡田律に対し、各金二八八万七四八八円及びこれらに対する昭和五三年七月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告岡田嘉代子に対し、金七〇〇万円、原告岡田隆雄、同岡田律に対し、各金六五〇万円及びこれらに対する昭和五三年七月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

訴外亡岡田幸史(以下「亡幸史」という。)は、電気工事の請負を業としていたものであるが、昭和五三年七月二八日、被告刈谷工場の工場長訴外杉野英一(以下「杉野工場長」という。)から同工場内のリフティング・マグネット・クレーン(通称リフマグクレーン又は一三号クレーン。以下「本件クレーン」という。)の電気系統の修理を依頼され、本件クレーン上でその修理作業をしていたところ、午前一一時〇五分ころ、本件クレーンのトロリー線に触れて感電死した。

2  被告の責任

(一) 債務不履行

(1) 雇用契約に準ずる関係

亡幸史は、本件事故当時、「岡田電気工事」の名称で一応は独立して電気工事請負業をしていたものの、その規模は極めて小さく(従業員は一人も雇っていなかった)被告からの仕事を専属的にこなして、収入の五〇パーセント以上を被告からの仕事で得ていたものであり、しかも、工賃は専ら被告の意思により決定され、仕事自体も被告の支配的な指揮命令に従ってしていたものであるから、独立した請負業者というよりは被告の従業員と評価しうる地位にあった。従って、亡幸史と被告との関係は、雇用契約に準ずる関係にあったというべきである。

(2) 請負契約

右(1)の関係が認められないとしても、亡幸史が杉野工場長から本件クレーンの電気系統の修理を依頼され、これを引受けたことにより、亡幸史と被告との間にその旨の請負契約が成立した。

(3) 安全配慮義務違反

使用者又は注文主である被告は、亡幸史に対し、右雇用契約に準ずる関係又は請負契約に基づき、亡幸史が安全に作業できるよう協力すべき安全配慮義務を負っていたにも拘わらず、これを怠ったため、本件事故が発生したものである。すなわち、

(イ)被告は、亡幸史をして本件クレーンのトロリー線が活線(電気が通じていること)のままの状態で本件クレーンの電気系統の修理・点検作業(以下「本件修理作業」という。)をさせないようにすべき義務があるのに、何らの指示をすることもなく亡幸史をしてトロリー線が活線のままの状態で作業をさせた。

仮に、亡幸史が本件修理作業に着手した当時、トロリー線の電源が切られていたとすれば、被告としては本件クレーンのトロリー線が本件クレーンの北隣りの一四号クレーンのトロリー線と共用のものであった上、トロリー線の電源は、扇風機の電源とも共通のものであったから被告の従業員が亡幸史の修理作業中に右一四号クレーン又は扇風機を作動させる目的でトロリー線の電源スイッチを入れたりしないよう全従業員に周知徹底させるべき義務があったのに、そのような配慮を怠ったため、被告の従業員の誰かが一四号クレーン又は扇風機を作動させるため、切られていた電源を入れたものといわざるを得ない。

(ロ)また、被告は、亡幸史をして本件のような危険発生の可能性のある設備状態のもとで作業させる場合には、被告の従業員のうち少なくとも、一、二名を監視役として配置し、本件修理作業を共助あるいは補助させるべきであったのに、何ら右措置をとらなかった。そのため本件修理作業中に被告の従業員がトロリー線の電源を入れるのをチェックできなかったものである。

右のとおり、被告の安全配慮義務違反により亡幸史は死亡したのであるから、被告には民法四一五条に基づく責任がある。

(二) 不法行為

(1) 民法七一五条一項

杉野工場長及び主任技師は、亡幸史と事前に打ち合わせをしたうえ本件修理作業(場合によってはその方法の是正を含む)の指示をなすべきであり、また、全従業員に対し、亡幸史が本件修理作業をしていること、従って、本件クレーンの電源スイッチを入れてトロリー線に通電させるような行為を絶対にしないよう周知徹底すべきであった。

従って、これを怠った被告の被用者である杉野工場長及び主任技師の過失により亡幸史は死亡したのであるから、被告には民法七一五条に基づく責任がある。

(2) 民法七一七条一項

本件クレーン設備は、いわゆる土地の工作物である。本件クレーンの電源は、たこ配線化していない状態にすべきであり、高感度の漏電遮断器を設置すべきであるのにそのような措置が採られていなかった。さらに、作業中の安全確保に関する事前の打ち合わせや、連けい作業がなされておれば、本件事故は未然に防ぐことができた。

従って、土地の工作物たる本件クレーンの安全設備(物的、人的設備を含む企業設備)の設置又は保存に瑕疵があったというべきであって、被告には民法七一七条一項に基づく責任がある。

3  損害

(1) 亡幸史の得べかりし利益の喪失

亡幸史は、旧制中学を卒業し、死亡当時満四七歳で、電気工事請負業をしていた。従って、六七歳まで二〇年間就労することが可能であった筈である。そうすると、もし、本件事故がなかったならば、同人は、四七歳から五九歳までは、昭和五二年度の賃金センサスの管理、事務、技術労働者の旧制中学卒業者の平均賃金の年額から生活費として三〇パーセントを控除した残額に中間利息の控除として一二年間のホフマン係数を乗じて得た金額と同額の収益を、また、六〇歳から六七歳までは、同賃金センサスの六〇歳以上の者の平均賃金の年額から生活費として三〇パーセントを控除した残額に中間利息の控除として八年間のホフマン係数を乗じて得た金額と同額の収益をそれぞれ得ることができたはずであり、その合計額は三五一五万一六三〇円となる。

(2) 原告らの相続

原告岡田嘉代子(以下、「原告嘉代子」という。)は亡幸史の妻、原告岡田隆雄、同律(以下、それぞれ「原告隆雄」、「原告律」という。)は、いずれも亡幸史の子であり、それぞれ三分の一ずつ亡幸史の遺産を相続した。

従って、原告らは、右(1)の逸失利益についての損害賠償請求権を、それぞれ一一七一万七二一〇円ずつ取得した。

(3) 原告らの慰藉料

亡幸史は原告ら一家の支柱であったものであり、同人の死亡により被った原告らの精神的苦痛は甚大であって、これを慰藉するには、原告嘉代子において四〇〇万円、原告隆雄、同律においてはそれぞれ三〇〇万円が相当である。

4  よって、原告らは、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として原告嘉代子は、一五七一万七二一〇円のうち七〇〇万円、原告隆雄、同律は、それぞれ一四七一万七二一〇円のうち六五〇万円及びこれらの金員に対する本件事故の日の翌日である昭和五三年七月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)(1)の事実のうち、亡幸史が本件事故当時、独立して電気工事請負業をしていたことは認めるが、その余の事実は否認する。亡幸史と被告との関係は請負契約によるものである。

3  同2(一)(2)の事実は認める。

4  同2(一)(3)の事実のうち、本件クレーンのトロリー線が本件クレーンの北隣りの一四号クレーンのトロリー線と共用であったこと、本件事故当時亡幸史の作業を被告の従業員が一人も共助又は補助していなかったことは認めるが、その余の事実は争う。

5  同2(二)(1)、(2)の事実は争う。

6  同3の事実のうち、亡幸史が死亡当時満四七歳であったこと、電気工事請負業をしていたことは認め、その余の事実は争う。

三  被告の主張

本件事故発生の原因は、以下のとおり、亡幸史の一方的な過失に起因するものである。

亡幸史は、電気工事について豊富な知識と経験を有しており、被告の電気関係の保守工事、故障修理工事を昭和五一年三月から請負い(それ以前は、被告と取引のあった訴外田代工業株式会社の下請業者として)、これを行なってきた。そして、亡幸史は、被告刈谷工場において、昭和五二年四月以降だけでも一四回にわたりクレーン修理工事を行ない、そのうち七回は本件クレーンに関するものであった。また、本件クレーンの配電設備の設置工事をも行なっており、本件クレーンの電気系統設備を熟知していた。

そして、本件事故当時、亡幸史が本件修理作業を開始する前に、被告の従業員で本件クレーンの操作を担当していた訴外竹原清志(以下「竹原」という。)が、亡幸史立会のうえ、本件クレーンの電源スイッチを切った。ところが、亡幸史は、一度クレーンに昇ってから下に降り、自ら電源スイッチを入れたうえ、通電試験用の電線と思われるリード線を持って再び本件クレーン上に昇り、誤って左手でトロリー線の一本を握り感電死したのである。亡幸史は、本件修理作業をする際、ヘルメット、革手袋等の絶縁防具を装着しておらず、また、被告の従業員に対し、通電操作等について何らの依頼もしなかった。

亡幸史は、通電による感電事故の危険を充分承知しながら、右のような行動をとったのであり、本件事故発生の原因は、亡幸史の一方的な過失によるというべきであって、被告に責任はない。

また、被告刈谷工場は、低周波誘導炉にダライ(鉄粉)及び鉄塊を投入してこれを溶解して鋳鋼を製造していたが、本件クレーン・一四号クレーン・ベルトコンベアで原料を右炉に投入する作業及び炉の操作・調整は、竹原が一人で担当していた。本件クレーンは鉄塊を吸着してこれを炉に投入するためのクレーンであり、本件クレーンとトロリー線及びその電源を共用する一四号クレーンは、本件クレーンの北方に位置し、炉にダライを投入するためホッパーにダライを入れ、そのホッパーをホッパー台に吊り上げて乗せるためのクレーンであり、また、ベルトコンベアは右のホッパー内のダライを必要に応じて炉に投入するためのもので、その位置関係は別紙第六、第七図のとおりである。そして、亡幸史の修理作業中は、本件クレーン・一四号クレーン・ベルトコンベアのいずれも使用の必要性はなく、竹原は本件クレーンの電源を切った後、ダライヤードにおいてトラックで搬入されたダライの処理に当っており、従って被告の従業員が電源を入れたという事実はない。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  争いのない事実

亡幸史が本件事故当時満四七歳で、「岡田電気工事」の名称で独立して電気工事請負業を営んでいたものであり、昭和五三年七月二八日被告刈谷工場の杉野工場長から本件クレーンの電気系統の修理の依頼を受け、本件クレーン上で修理作業中の午前一一時〇五分ころ、本件クレーンのトロリー線に接触し感電死したことは当事者間に争いがない。

二  亡幸史と被告との関係

右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

亡幸史は、以前から電気工事関係の会社に勤務し電気工事の仕事に従事してきたが、昭和四八年から「岡田電気工事」の名称で独立して一人で電気工事請負業を営むようになり、人手を要する仕事のときは知人の同業者の応援を得て仕事を行ってきた。被告との取引関係は、昭和五一年三月以前は、被告と取引のあった訴外田代工業株式会社の下請業者として被告から注文のあった仕事をしていたが、それ以降は、被告から直接電気工事の仕事を請負いこれを行なってきた。被告から依頼された電気工事は緊急を要する修理関係が多く、その他の金額が一〇万円以上の工事及び新設の工事は他の電気工事業者と競争見積りをし、被告から注文を受けた場合にこれを行っていたもので、亡幸史は被告の電気工事のすべてを引き受けていたわけではなくまた、亡幸史の取引相手は被告のみでなかった。

右のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、亡幸史と被告との関係は個々の電気工事についての請負契約関係であったと解するのが相当である。

三  本件事故現場の状況等

《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

1  被告刈谷工場は、低周波誘導炉にダライ(鉄粉)及び鉄塊を投入し、これを溶解して鋳鋼を製造しているが、右の炉は一日中(二四時間)稼働させ被告の従業員が一日三交替で右炉の操作をしていた。本件クレーンは、鉄塊を磁石に吸着させ、右の炉まで運んで投入するためのクレーンであり、一四号クレーンは、本件クレーンの北方に位置し、炉にダライを投入するため、ホッパーにダライを入れ、そのホッパーをホッパー台に吊り上げて乗せるためのクレーンである。そしてベルトコンベア(ダライ投入装置)は、右のホッパー内のダライを必要に応じて炉に投入するためのものである。また、ホッパーに投入するダライの置場であるダライヤードは、一四号クレーンの西方に位置する。

これらの位置関係の詳細は、別紙第五ないし第七図のとおりである。

2  本件クレーンは、南北と東西の両方向に移動し南北を走行、東西を横行という。本件事故の際、本件クレーンは走行部分の南端で、かつ、横行部分のうちアームが西端の位置にあった。本件クレーンの下の作業所はコンクリートで地上より一段高くしてあり(以下「プラットホーム」という。)、プラットホームから本件クレーンの点検台までの高さは五・一七メートルであり、梯子をかけて上に昇るようになっていた。

なお、本件クレーンの位置、形状、構造についての詳細は別紙第一ないし第七図のとおりである。

3  本件クレーンの電源スイッチ(元スイッチ)は、別紙第六第七図のオペレーター室の北側の「スイッチ」と記載している位置にあったが、この電源は、本件事故当時、トロリー線を共用する一四号クレーンのほか、ベルトコンベア、扇風機用コンセントの電源を兼ねていた。そして、この電源スイッチを入れると、工場建物西側の天井に近い所を南北に走っている三本のトロリー線に通電し、その電圧は交流三相二〇〇ボルトであった。本件クレーンは、右の電源スイッチを入れたうえ、さらに、本件クレーンからプラットホームに下がっている押ボタンスイッチの押ボタン(合計一〇個)を押して操作するもので、電源スイッチを入れても押ボタンスイッチを切っていれば本件クレーンは動かないが、トロリー線には通電したままである。そして、電源スイッチを入れると、工場建物南西角付近のトロリー線とほぼ同じ高さの位置にある赤ランプが点灯し、このランプはどの位置からも良く見えるものであった。なお右の電源スイッチ部分には漏電遮断器は設置されていなかった。

4  本件事故の際の本件クレーンの点検台、配電盤、アーム、ホイスト、トロリー線などの位置は、別紙第二ないし第四図のとおりであり、アームを吊り下げている台車の台上からトロリー線までの高さは六八・五センチメートル、三本のうち一番東側のトロリー線とホイスト配電盤西側面の間の幅は五〇センチメートルであった。また、トロリー線は裸線のままで絶縁されておらず、トロリー線の回りに網状の囲いをするなど絶縁保護具は何も設置されていなかった。

右のとおり認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

四  本件事故発生の状況

前記の当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、以下の各事実が認められる。

1  被告の従業員で溶解部門の班長兼炉のオペレーターである竹原が、昭和五三年七月二八日午前八時ころ被告刈谷工場へ出社したところ、夜勤のオペレーターから、本件クレーンの横行部分のうちアームが東へ動かない状態であるとの引継ぎを受けた。そこで、竹原は、クレーンが故障した場合にいつも下調べをすることになっている一号クレーンの運転者の訴外光田敏男(以下「光田」という。)に本件クレーンの点検をしてもらうことにした。光田は、本件クレーンの点検の前にオペレーター室にいた竹原に本件クレーンの電源のスイッチを切ってもらい、その電源に修理中である旨の札をかけた。そして、光田は配線を外見し、押ボタンスイッチを持って本件クレーンに昇り、そこで安全のため押ボタンスイッチも切ったうえ調査した(但し、テスターは使用していない。)が故障の原因が判明しなかったため調査を打ち切り、訴外小原工長にその旨報告し、竹原に対してもその旨を伝えた。

2  小原工長から報告を受けた杉野工場長は、工場の事務所においてその時たまたま計量所の配線工事のため右工場に来ていた亡幸史に対し、本件クレーンの電気系統の点検修理を依頼し、亡幸史はこれを引き受けた。なお、その際杉野工場長は、亡幸史と右修理作業の内容、方法及びその安全性につき打ち合わせをせず、その後も本件事故発生まで本件クレーンの所には行かなかった。

一方、竹原は、光田の点検後電源スイッチを入れ、オペレーター室で炉の制禦作業をしていたところ、亡幸史が右オペレーター室まで来たので、故障の内容を説明したうえ一緒に本件クレーンの電源スイッチの所まで行き、亡幸史の見ているところで電源スイッチを切ったが、その際右スイッチに修理中であることを示す札はかけなかった。その後、亡幸史は本件クレーン上に昇ったが、導通試験用のリード線を探すため五分くらいで降りて来て、これを探しに工場の外へ出ていった。竹原は、その後すぐにダライ粉を積んだトラックが四台到着したのでその荷降ろし及び整理をするためダライヤードへ降りて行って、三〇分くらいその作業をしていた。

3  竹原は、ダライヤードでの作業を終えオペレーター室に戻るため、プラットホームへ上がる階段を上がっていった際真正面に見える本件クレーン上で亡幸史がうつぶせになって倒れ、左手でトロリー線を握っているのを発見した。

そこで、異常を感じてすぐ横の電源スイッチを見たところ右スイッチが入っていたため、直ちにこれを切った上、プラットホームの下の作業場にいた小原工長に連絡し、同人に本件クレーン上に昇って貰った。竹原が亡幸史の異常を発見したのと同じころ、一号クレーンの運転台にいた光田も亡幸史の異常を発見し、右運転台から天井の梁を伝って本件クレーンまで来た。亡幸史は本件クレーンのホイストの西側のトロリー線との間の部分に頭を北に向け、うつぶせに倒れており左手で三本のトロリー線のうち一番東側の線を握っていた。本件クレーン上には被告所有のテスターと懐中電燈が置いてあり、また黄色の被覆した単線のリード線が一方の端は下の押ボタンスイッチに継いであり、もう一方の端は亡幸史の倒れているあたりにあった。亡幸史は下に降ろされ、刈谷豊田病院に救急車で運ばれたが、発見された時に既に死亡の状態(感電によるショック死)であった。また、亡幸史は、ヘルメット、革手袋などの絶縁具を装着していなかった。

4  一般に、電気配線における断線の有無を調査点検する方法にはテスターという器具を用いて調べる方法とリード線によって調べる方法があり、前者の場合には当該電気配線に電気を通さずに(すなわち、スイッチを切って)行い得るが後者の場合には当該電気配線に電気を通した状態(すなわち、スイッチを入れた状態)にしなければ、調査点検することができない。

5  本件事故当時、本件クレーン、一四号クレーン及びベルトコンベアを操作して炉に材料を投入する作業並びに炉の操作調整作業を担当していたのは竹原一人であり、炉から溶けた湯を汲み取る場合にのみ他の持場の作業員が応援したが、その際は竹原がブザーで作業員を呼ぶようになっていた。ところが前記認定のように竹原は亡幸史が本件修理作業をしていた際はダライヤードで作業していたのであるから、被告の従業員の誰かが本件クレーンの電源スイッチを入れるという可能性はなかった。

6  また、亡幸史は、昭和五二年四月以降だけでも被告刈谷工場において一四回にわたりクレーンの修理工事を行い、その内七回は本件クレーンに関するものであった。従って、亡幸史は、本件クレーンの電気設備を熟知していた。

右のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の各事実を総合すれば、亡幸史は断線の有無をリード線を使用して調べようと思い、再び本件クレーン上に昇る際に自ら電源スイッチを入れて本件クレーン上で作業していたが誤って左手をトロリー線の一本に接触させたものと推認することができる。

五  被告の責任

1  債務不履行責任

いわゆる安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものである。そして、雇傭契約関係においては、労務給付の場所、設備、器具、材料等を使用者が供給すべき場合に労務提供者が労務に服する過程において生命や健康を害することがないようにこれらの物的環境を整備し、また安全教育を実施するなどして、事故を未然に防止し、その安全を配慮する義務をいうものと解すべきであるが、請負契約の場合においても、当該契約に基づく労務提供の場所、仕事の内容、用具の負担関係並びに契約当事者相互間の社会的・経済的関係の優劣などからみて雇傭と類似の関係が存すると認むべき場合においては、注文者は、右雇傭の場合における使用者と同一の安全配慮義務を負うものと解するのが相当である。

そこで、これを本件について検討するに、本件請負契約に基づく亡幸史の債務が被告の現に操業中の工場内における電気系統の点検修理であること、本件クレーンの位置と電源スイッチの位置が離れており、同人が単独で右作業を行うのは容易ではないと考えられること、右作業は他の工事をするために、たまたま本件事故当日刈谷工場に居合わせた亡幸史が被告(杉野工場長)から急に依頼された予定外の作業であったこと、亡幸史は零細な電気工事請負業者で、従来から主たる得意先であった被告からの依頼をたやすく拒絶することができない関係にあったこと、当時、本件クレーンのアーム部分は横行部分の西端に停止した状態にあるため、必然的に二〇〇ボルトの電圧のトロリー線に近接した場所での作業となり、亡幸史が被告の従業員の協力を得ることなく右作業を行うことはかなり危険性の高い状況にあったことなどの前記事実関係からすると、亡幸史が右作業を安全に遂行するためには被告の積極的な協力を不可欠の前提とするものであったというべきである。

しかして、このような場合には、雇傭契約関係と同様の支配従属関係までは存しないとしても、雇傭契約に類似する関係が存するものというべきであるから、前認定の請負契約の注文者である被告は、右契約の付随義務として信義則上、亡幸史に対し、前記安全配慮義務を負うと解するのが相当である。

すなわち、被告の履行補助者である杉野工場長としては、亡幸史が本件修理作業に着手する際に自ら立会うか、被告の従業員を立会わせるかして本件修理現場の状況を確認し、本件修理作業の内容、方法及びその安全性について亡幸史とともに検討し、さらに、作業中にも従業員を立会わせ、合図等により安全を確認したうえ、電源スイッチを入れたり切ったりさせるなどして、亡幸史がトロリー線に通電したままの危険な状況の下において単独で作業をすることがないよう積極的に協力し、又は、通電したままのトロリー線に直接触れさせないように革手袋などの絶縁具を装着させ、またトロリー線の回りに防護網を設置するなどの措置を講じて亡幸史が本件修理作業を安全に行ない得るように配慮し協力すべき義務があるものといわなければならない。

しかるに、前記認定事実によれば、杉野工場長は、右の具体的な安全配慮措置を何ら講じなかったのであるから、この点において被告に安全配慮義務違反があったものというべきである。

しかして、本件事故が発生したについては、亡幸史にも後記のような重大な過失があったものであるが、被告が前記の具体的安全配慮義務を尽しておれば、本件事故の発生を防止し得たものというべきであるから、被告の右義務違反と本件事故発生との間には相当因果関係があるというべきである。

よって、被告は原告らに対し民法四一五条に基づき後記認定の損害(但し、原告ら固有の慰謝料は除く)を賠償すべき義務がある。

2  不法行為責任

前項において認定したとおり、被告の従業員である杉野工場長には亡幸史をして本件修理作業に従事させた際に前記の具体的な安全配慮措置を何ら講じなかった点に過失があり、本件事故発生と右過失との間には相当因果関係があるから、被告は原告らに対し民法七一五条一項に基づき後記認定の損害を賠償する義務があるというべきである。

六  損害

1  亡幸史の逸失利益

前記のように、亡幸史が死亡当時四七歳であったことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、亡幸史は、旧制中学を卒業し、電気工事請負業を営み、本件事故当時、少なくとも月三〇万円を下らない純益を得ていたことが認められる。

そうすると、同人は、もし、本件事故がなかったならば六七歳に達するまでの二〇年間、毎年三六〇万円の収益を得ることができたものと推認されるので、右金額を基礎として、右稼働期間を通じて控除すべき同人の生活費を三割とし、中間利息の控除につきホフマン式計算法を用いて死亡時における同人の逸失利益の現価額を算定すれば、次のとおり三四三一万二三二〇円となる。

(3,600,000円×0.7)×13.616=34,312,320円

2  原告らの相続

《証拠省略》によれば、原告嘉代子は亡幸史の妻、原告隆雄、同律は亡幸史の子であり各三分の一ずつ相続したことが認められる。

従って、右1の損害についての各原告の相続分はそれぞれ一一四三万七四四〇円になる。

3  過失相殺

前記認定のとおり、本件事故の際、亡幸史は電気関係の豊富な知識と経験を有し、かつ、本件クレーンの修理工事を本件事故以前にも何度か行っており、その電気設備に熟知していたにもかかわらず、切られていた電源スイッチを自ら入れてヘルメット・革手袋を装着せず点検修理作業中に誤ってトロリー線に接触したのであるから、本件事故の発生については亡幸史にも重大な過失があったものというべきであり、亡幸史の右過失と被告の前記認定の過失割合は八対二と認定するのが相当である。

従って、これによると、原告らの取得分はそれぞれ二二八万七四八八円となる。

4  原告らの慰藉料

前記認定の本件事故の態様、結果、亡幸史の過失の程度など本件に顕われた諸般の事情を総合考慮すると、原告らの精神的苦痛を慰藉するには、原告嘉代子において八〇万円、原告隆雄、同律において各六〇万円が相当と認められる。

七  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告嘉代子において金三〇八万七四八八円、原告隆雄、同律において各金二八八万七四八八円及びこれらに対する不法行為の日の翌日である昭和五三年七月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川端浩 裁判官 棚橋健二 山田貞夫)

<以下省略>

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